NVIDIAを倒産寸前から救った500万ドルの真相|セガ入交昭一郎氏の決断とジェンスン・フアンCEOが語った30年越しの秘話
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セガ入交昭一郎氏の決断とジェンスン・フアンCEOが語った30年越しの秘話
出典:NVIDIA公式ブログ / Reuters配信記事(Yahoo Finance)
NVIDIAは現在、時価総額で世界最大級の企業に数えられていますが、1990年代半ばには倒産の一歩手前まで追い込まれていた時期があります。2026年7月15日、東京・秋葉原で開かれたセガとの30周年記念イベントで、ジェンスン・フアンCEO自身がその内側を改めて語りました。きっかけになったのは、セガから受け取った500万ドルという金額です。
イベントは東京・秋葉原のGiGO秋葉原3号館で開催され、セガ代表取締役会長CEOの里見治紀氏、代表取締役社長COOの内海州史氏、『バーチャファイター』の生みの親として知られる鈴木裕氏、セガ元社長の入交昭一郎氏らが登壇しました。会場ではNVIDIAの新型PCプラットフォーム「RTX Spark」の試作機上で新作『VIRTUA FIGHTER CROSSROADS』のデモも公開され、フアン氏は1990年代半ばに自社が直面していた技術的な行き詰まりと、それを救ったセガの出資について改めて振り返りました。
RTX Spark対応の詳しい発表内容は、別記事「セガ新作『VIRTUA FIGHTER CROSSROADS』がNVIDIA RTX Sparkに対応へ」で扱っています。本記事ではその発表内容には深入りせず、フアン氏が語った1990年代の存続危機そのものに絞り込み、500万ドルという金額の内訳、入交昭一郎氏がどう決断したか、その後NVIDIAがどのように立て直したかを、具体的な数字とともに整理します。
目次
背景秋葉原の30周年イベントで語られたもう一つの話
今回のイベントは、NVIDIAとセガの協業30周年を記念して開催されました。両社の関係は、NVIDIA初期のチップ「NV1」を搭載したビデオカードに、PC版『バーチャファイターRemix』が同梱されていた1995年にまでさかのぼります。
当時のNVIDIAは、セガの家庭用ゲーム機の次世代機(後のドリームキャスト)向けに、グラフィックス技術の共同開発を任されていました。しかしこの開発が、NVIDIAという会社そのものを潰しかねない事態を招くことになります。
危機NVIDIAを追い詰めた技術的な行き詰まり
NVIDIAが1995年に世に出した「NV1」は、当時業界標準になりつつあった三角形ポリゴンではなく、四角形を基本単位として曲面も表現できる独自の描画方式を採用していました。この方式は「クアドラティック・テクスチャマッピング」とも呼ばれ、少ないポリゴン数でも滑らかな曲面を描ける利点がありましたが、業界標準として広がることはありませんでした。
マイクロソフトはWindows向けゲームAPI「DirectX」で三角形ポリゴンを標準の描画方式に定めます。これにより、NV1が採用していた独自方式は業界標準の外側に取り残される形になりました。
NVIDIAはこの技術を土台に、セガの次世代機向けチップの開発を1年以上進めていましたが、期待していた性能に届かず開発は行き詰まります。方式を三角形ポリゴンベースに設計し直せばセガとの契約を予定通り完了できず、かといって開発を続ければ資金が尽きる。ジェンスン・フアンCEOは当時、どちらを選んでもNVIDIAは立ち行かなくなる状況に追い込まれていたと振り返っています。この後継チップは、社外では「NV2」という開発コード名で紹介されることがあります。
決断入交昭一郎氏が選んだ、契約解除ではなく出資という道
行き詰まりを抱えたフアン氏は日本のセガ本社を訪れ、入交昭一郎氏に技術的な現状を正直に伝えました。入交氏は当時セガの経営陣の一人で、セガ本体の社長に就任するのは1998年、この出来事より後のことです。契約通りに開発を続けられる見込みがないことを説明したとされています。
入交氏がここで選んだのは、契約を解除して終わりにすることではありませんでした。契約上NVIDIAに支払われるはずだった約500万ドルを、そのまま株式への出資に振り替えるという決断です。この資金が戻ってこない可能性が高いことはフアン氏自身も伝えていたとされていますが、入交氏はセガの経営陣を説得し、出資を実行しました。
検証500万ドルが生んだ効果を数字で見る
この一連の経緯を、確認できた数字で改めて整理すると次のようになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出資額 | 500万ドル(契約上の支払い分を株式に振替、1995〜96年頃) |
| 得られた資金的猶予 | 約6ヶ月分 |
| RIVA 128発売 | 1997年発売、発売から4ヶ月で100万枚を販売 |
| NVIDIA上場 | 1999年(同年GeForce 256を発表) |
| セガの株式売却額 | 約1500万ドル(出資額の3倍) |
| 保有し続けた場合の価値 | フアン氏は1兆ドルを超える規模になっていたと説明 |
この約6ヶ月間でNVIDIAは、三角形ポリゴンを扱うアーキテクチャへの設計転換を進めます。1997年に発売した「RIVA 128」は、発売から4ヶ月で100万枚を売り上げ、これがNVIDIA再建の転機になりました。
訂正ドリームキャストのグラフィックスチップはNVIDIA製ではありません
NVIDIAとセガの関係を振り返る際、混同されやすいのがドリームキャストのグラフィックスチップです。
セガが1998年に発売したドリームキャストのCPUは日立製「SH-4」、グラフィックスチップはNEC(VideoLogicの技術がベース)製の「PowerVR2」です。NVIDIAが開発を進めていたチップは製品化されず、ドリームキャストに搭載されることはありませんでした。
「NVIDIAがドリームキャストのグラフィックスを担当していた」という説明を見かけることがありますが、正確には「ドリームキャストにつながる開発プロジェクトに参加していたものの、最終的には採用されなかった」というのが実際の経緯です。
転換RIVA 128からGeForceへ、そして現在地
500万ドルの出資を得たNVIDIAは、三角形ポリゴンを扱うアーキテクチャへの設計転換を進め、1997年に「RIVA 128」を発売しました。発売から4ヶ月で100万枚を販売する成功を収め、これがNVIDIA再建の転機になっています。
NVIDIAは1999年に株式を公開し、同年「GeForce 256」を発表しました。セガはこの間にNVIDIA株を売却し、出資額の3倍にあたる約1500万ドルを手にしています。フアン氏は、セガがこの株式を売却せず保有し続けていた場合、その価値は1兆ドルを超える規模になっていたとも説明しています。
技術的な行き詰まりを正直に打ち明けたことと、入交氏がそれを株式出資という形で受け止めたことが、今のNVIDIAにつながっている。フアン氏はイベント当日、改めてそう振り返っていました。
FAQよくある質問
まとめ500万ドルが今のNVIDIAをつくった
2026年7月15日、NVIDIAとセガは東京・秋葉原のGiGO秋葉原3号館で協業30周年を祝うイベントを開催しました。この場でジェンスン・フアンCEOが改めて語ったのは、1990年代半ばにNVIDIAが直面していた技術的な行き詰まりと、それを救ったセガの500万ドルの出資です。
契約上支払われるはずだった資金を株式出資へ転換するという入交昭一郎氏の決断が、NVIDIAに約6ヶ月分の猶予を与えました。この間にNVIDIAは三角形ポリゴンを扱うアーキテクチャへ転換し、1997年発売の「RIVA 128」で立て直しに成功しています。
セガはその後、出資額の3倍にあたる約1500万ドルでNVIDIA株を売却しました。一方でドリームキャストに搭載されたのはNVIDIA製ではなく日立製CPUとNEC製PowerVR2で、この点は今回のイベントでも改めて確認できた事実関係です。
500万ドルという金額そのものは、今のNVIDIAの時価総額と比べればごくわずかです。ただしこの資金がもたらした約6ヶ月分の猶予がなければ、三角形ポリゴンへの設計転換もRIVA 128の成功もなく、その先のGeForceも存在しなかった可能性があります。
入交昭一郎氏の決断は、契約上の権利を主張する道ではなく、技術的な行き詰まりを正直に伝えたNVIDIAを信じるという道でした。RTX Sparkをめぐる最新の協業内容は、セガ新作『VIRTUA FIGHTER CROSSROADS』がNVIDIA RTX Sparkに対応へで詳しく整理しています。



